脳…狂…晴空、舞う

真っ黒なキャンパスに一滴のモスグリーン。そこに綺麗なちょうちょを添えて

あの頃よりも酷い

 

過去の私はどんな人間だったか。

 

大学生の頃、

人に裏切られ、傷つき

そして、欲張りな人間になった。

金、男、名誉

全て手に入れてやろう!這い上がってやろう!と意気込んでいた。

 

友情なんてゴミだ!!

愛情なんて金で買える!!

 

とても嫌な女だった時代。

 

あの頃はギラギラして行動力は素晴らしかったと思う。

 

でも、壊れた。

全て。なにもかも。

 

壊れて気づいた。

なにもしなくても生きていける。

なにもしない人間になろう。と

 

そしてそこからの私はなにもしなかった。

本当になにも。

それでもあの頃の私は1番人間らしく

そして、愛された人間だったと思う。

楽しかった。

なにもないけれど

なにもないからこそなにもしない人間でいることがとても楽しかった。

 

どんなことが起きても

面白い話になる!!

というポジティブな人間になった。

お金が無いことも

時間が有り余っていたことも

なにもかもこれはきっと私の次のスキルになると信じて止まなかった。

 

そして、私はまた傷ついた。

傷ついたというよりも

自分で、苦しめた。

 

変わらなきゃ!と思った

また私は新しい自分になろうとした。

 

そして今、変わろうとした事が

がむしゃらに働き、人に気遣い

コソコソと生きている。

 

愛された記憶が残っているから

愛されたいと願いながらも

人の目を気にしてただひたすら

心の中の闇を少しずつ溜めている。

 

そして、弾けた。

弾けて私はまた汚い人間に

欲張りな人間に

醜い私になろうとしている。

 

止め方がわからない。

助けて欲しい。

「普通の私」になりたいだけなのに

なぜ。

私は0か100しか持ち合わせていないんだろうか。

 

なにもかも手に入れたい。

なにもかも私が1番でいたい。

 

あの頃の私より

ひどい人間になろうとしている。

 

どうすればいい?

どうすれば戻れる?

 

誰か助けてほしい。

もうこれ以上自分を嫌いになりたくないよ。

愚かな人間は誰だ。

久しぶりの更新。

誰かに求められているものではないので

気長に。気まぐれに。と始めた

私の脳内再生。

 

やはり、私は愚かだ。

愚かだからこそ続かなった。

溜め込んだ言葉の粒はたくさんあるのに

それを1つの文章にするのは

中々手が出なかった。

 

手が出なかった???

ううん。怖かったのだと思う。

私の脳内再生は

基本的に誰も見ていない。

見ていないからこそ気楽だと思ったが、

見られていないとこんなにも怖いのかと実感している。

 

何が怖いのかそれは私にも説明はできないが

自我を保つ為の文章なのに

自我を破壊して、新しい何かを生み出す兵器に感じてしまう。

 

それが怖いのだ。

 

私が私でなくなることを望んでいても

やはり私は私らしくいることに

誰よりもこだわりを置いているようだ。

 

なんて愚かで滑稽な人間なんだろう。

 

私という人間は、

他人の思う私と、私の思う私のギャップに

苦しみ、もがき続け

それでも、自分を押し殺し

周りから見た「私」でいる選択をしたにも関わらず

その私の中でまたこだわりを持っている。

まるで遊園地のパンダの着ぐるみを着たおじさんみたいなものだ。

 

皆が知っている「私」の中に

全然違う「私」が存在して

そいつが意図的に、動かしている。のに

少しでもオリジナルになろうとしている。

やっぱり私は私じゃないと!!と

誰かに言わせたい。

認められたい。

 

そんな醜い承認欲求はいつ捨てられるのだろうか。

 

 

こんなの私じゃないのに…

 

昔のトキメキに浸る

ふと、連勤が続いた夜勤明けの日に

私の青春を蘇らそうとした。

 

なぜ急にそう思ったのか、私にも理解できないがなんとなく自分の中で

タイムスリップするかのように

少しずつ少しずつ過去に潜っていく。

 

あの頃ときめいた文章。

あの頃憧れた人。

あの頃に好きだった歌。

 

すべてが青春そのものだった。

人間の記憶とは都合のいいもので

忘れていても、ふと当時の歌や場面で

事細かに思い出せたりするし

意外と綺麗な思い出になっていたりする。

 

あの時辛くて辛くて苦しかったことも

今となっては「若さ」として

心がこそばゆい。

 

あの頃ときめいた文章は今どんな色をして私の脳内を巡るのだろうか。

あの頃憧れていたあの人は今どんな人間として映るのだろうか。

あの頃好きだったあの歌は今どんな気持ちになって聞けるのだろうか。

 

変わらない。

そう。なにも変わらなかった。

まるで私が辿ったそのままの気持ちを

0スタートでまた同じ道をゆっくり進むのだ。

 

思い出は若さとしてどうでもいいと思えるのに

文章や憧れの人、歌は

変わらない感性で私を刺激して成長させようとする。

 

懐かしいという感覚が一つ一つほどけて

私のトキメキはあの頃のままだ。

 

こんなトキメキもたまには有意義だと思える。

脳内住人

私の脳内には住人がいる。

その住人達は何人もいて

脳内でたくさんの会話がされている。

 

多重人格者ではないが

その住人達は私のようで私ではない

今まで誰にも話したことはないけれど

その住人達は日によって入れ替わったりするので

とても脳内は忙しい。

 

常に誰かが私に向けて話しかけているし

常に誰かが悲しんでいるし怒っている。

それがうるさいと感じる時もある。

ひどい時には声が聞こえてくるから厄介だったりする。

 

何かの病気なのではなく

ただ単純に、現実逃避と一人遊びが混合した結果、脳内でいくつもの「私」が生まれたんだと思う。

 

例えば、ただただ道を歩いてる時でも

私の脳内ではたくさんの選択肢があって

その選択肢の一つ一つをそれぞれの住人が解説してくれている。

私はその選択肢の中の1つを選ぶのではなく

私はただ歩いているだけなので、また別の選択肢をしている。

 

説明はしにくいけれどただ道を歩いてるだけなのに、色々な経験をした気分になるので

すごく疲れるし、住人が解説してくれたことは現実に起こっているわけではないので誰かに話すこともない。

 

一括りに「妄想癖」といえば簡単だが

妄想というよりも私ではない私が

私の小さな選択の中の可能性を解説している

妄想はこうありたい。こうしたい。というものだが

私の場合は選択する気のない可能性がほとんどなのだ。

 

これは誰が理解できるのだろうか。

まあ、今日も私ではない私達の会話を聞きながら眠りにつこう。

 

赤空

 

 

排水口に流れる赤をただ眺めて思う

「死にたい」はきっと「生きたい」という願い。

そんなことを思いながら私は

真っ赤な空に手をかざす。

 

あの人が私を必要だと思ってくれたら

私はこの空を「綺麗だ」と感じただろうか。

今はただ、切なくて悲しそうな空だと思った。

 

赤空に染まる私の腕は

生きている証拠なのだ。

 

もう二度と交わることのない

あの人の手を思い浮かべて

私は空を掴んだ。

迫る地獄に問う

迫り来る明日に吐き気を感じて

未来を走る事が嫌になる。

 

楽しいことも嬉しいことも

きっとたくさんたくさんあるはずなのに

そんなことより目の前の未来が地獄だと思う。

 

きっと電車に飛び込んだあの子も

大きな未来より目の前の未来が地獄だったんだろう。

「なんでもない、なんにもない」日々が

あの子にとっては地獄だったのかもしれない。

「たくさんあってたくさん感じた」日々が

あの子にとっては地獄だったのかもしれない。

 

あの子にしかわからない地獄がそこにあった。

 

勇気を出した1歩は

周りの言う、「悲しい選択」だったのかもしれない。

でも、きっとあの子にとっては「正しい選択」だった。

迫り来る明日が

光を放つ眩しい太陽が

生きたいと願う虫の声が

あの子にとっては耐えられなかったんだ。

 

私の「正しい選択」とはなんだろう。

精一杯の命の使い方を私は知らない。

私は何のために「生きている」のだろうか。

 

 

不気味は貴方の魅力

怖いと思った。

知りたいと思った。

癒された。好きだった。

 

普通じゃないと思った。

それがいいと思えた。

守ろうと思った。

このまま続くと思ってた。

 

普通だった。

当たり前な欲を持っていた。

悲しかった。

私は大きな力に負けたと思った。

普通ってなんだろう。

なにを求めていたんだろう。

何も知らなかった。

そもそも戦っていないのに。

 

何故だろう。

嘘つきだと思ってしまった。

失恋をしたみたい。

 

どんなに考えても

不気味な貴方が魅力的だった。

 

私はただの少数派でしかない。

貴方は大きな力に流されたのではない。

人間の当たり前の心理の中の選択をした。

 

それでも私は

普通ではなかった貴方が好きだった。